日々、目まぐるしく変化する。
変化の波が早過ぎるからなのか、自分自身に無関心だからなのか、ある時点の状態が好ましくない場合、得てして原因や責任を外に求めがちだ。
けれど、本当にそうだろうか。
時に直視することが嫌になることもある。
表出した状態、感覚、感情を受け容れ難いこともある。
どんなに否定しても、起きた事実は「そこに在る」
起きた事実を否定する時間を持つことも悪くはない。
そういった時間を過ごすことで、自分自身の本当の所在を確認することに繋がれば。
ただ、その時間の中に囚われて入り浸り抜け出せない理由を他に(外に)求め始めたら注意が必要だ。
時間がない…
助けがない…
お金がない…
理解してもらえないせいだ…
理解してもらえるはずがない…
失望したくない…
どうせ変わらない…
あの人とは違うから…
わたしばかりが…
自問することが必要だ。
時間があれば行動に移したのだろうか。
助けが必要だと具体的に伝えただろうか。
支出の中での優先順位を確認しただろうか。
理解を求める声を挙げただろうか。
その声が相手に伝わったのか確認しただろうか。
本当は期待していたこと、希望していたことは何だったのだろうか。
本当に変化を望んでいるのだろうか。
あの人と同じでありたいのか。
誰に助けを求めたいのだろうか。
声を大にして叫ぶ必要があるのか
己の中で所在を確認するだけでよいのか
誰かのサポートを必要としているのか
関わりを断つ必要があるのか
習慣や関係性に変化が必要なのか
これまでよいと思ってしていた選択を変える必要があるのか
自問することを通して見えてくる。
というか、見えてくるまで自問は続く。
自問することが膨大なエネルギーを必要として
そうすることすら辛い時は、立ち止まってゆっくり見つめ直せばいい。
そんなことを言われたって、「家族との生活を滞らせることなどできない」「わたしなしでは立ち行かない」…様々な言い分が聞こえてきそうだ。
ただひとつ、自問するエネルギー(自分自身の中で消費するエネルギー)すら枯渇していると感じるならば、ほかの人に割くエネルギーは何故枯渇しないのだろう。
思いがエネルギーに変わる。
自分自身を慈しみ労ることにエネルギーを注ぐ必要がある、そういうサインが出ている。
あなた自身が普段大切な人たちに向けているエネルギーを自分自身に向けてみる必要がある。
ルース・ベベルマイヤーの詩にインスピレーションを得て一部を引用。
―あなたが立ち去る前にどうしても知っておきたい。
あなたの言葉は本当にそういう意味だったのだろうか。
わたしは正しく聞き取っていたのだろうか。
わたしには、伝えておきたいことがある。
とても大切なこと。
わたしの言葉で上手く伝わらなければ、どうか力を貸してほしい。
あなたの存在を貶したり、蔑ろにしているように感じたなら、
いま一度、わたしの言葉に耳を澄まして
わかり合える気持ちがあることを知っておいてほしい。―
変化をすること、選択を変更することは決してこれまでのあなたを否定するものではない。
これまでの道のりがなかったことになるわけではない。
あなた自身が自分でした選択を尊重することなしに変化への否定が止まることはない。
変化に対する柔軟性の有無を施術でもセッションでも観察している。
わたしたち RK(アルケー)のふたりは生涯に寄り添う覚悟と責任を持って施術とセッションに向かっています。
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