今日も新型コロナウィルス。
メディアでよく言われる
正しく恐れることが大事。
正しいって何だ。
正しく恐れるためには、
当然情報が正しくないといけない。
番組が変われば、
発信している内容がまるで違う。
政府は普段から、
正しい情報を出しているのか、
はっきりしない。
そんな政府の発言に真実はあるのか...
感染者のある程度の総数が見えないなかで、
致死率なんて意味があるのか。
そもそも発言自体を信用して良いのかという話。
まずここまでは大前提として。
次に発言自体は正しくても、
その正しさは
残念ながら立ち位置で変わってしまう。
医者から見た正しさ。
患者から見た正しさ。
一般から見た正しさ。
為政者から見た正しさ。
自然派から見た正しさ。
手洗いが基本。
石鹸を使うべき。
常在菌も死ぬ。
水だけで○○分間洗う。
手洗いなんて意味がない。
手洗い1つとってもこれくらいの意見は
簡単に集まる。
マスクは人にうつさないもの。
これはある程度市民権を得たような気がしていたが、
実態はそうではなさそう。
うつさないといっても、
空気感染するのかどうかわからなければ、
マスクの是非はわからない。
ヘルスリテラシーなんて言うこともあるけど、
科学的な研究結果を知っているかどうかだけで、知らない人をこき下ろしたいだけにも感じる。
統計的にみると正しいという話が、
解剖学的にも正しいし、
生理学的にも正しいし、
病理学的にも正しいし、
社会としても正しいし、
と言えるものはどれぐらいあるのだろう。
結局正しいかどうかは
いろいろな考えを比較してみないとわからない。
正しいと思い込んでるだけでは意味がない。
いろいろな意見を比較しながら、
自分が正しいと思えるところを見つけるしかない。
それがリテラシー能力ではないかと思う。
科学的な根拠がある主張を知っているかではないだろう。
今のままでは、未知のウイルスが出てくると、
毎回このパニックに陥ることになる。
新型コロナウィルスだけの話ではなく、
健康情報全般同じことが言えると思う。
正しい食事なんてものを考えてみると良い。
ドクターの言う正しい食事。
ヴィーガンの人が言う正しい食事。
美食家の言う正しい食事。
それぞれの立ち位置で見れば、
正しいかもしれない。
では、自分自身はどう考えるか。
新型コロナウィルスを正しく恐れる。
言うのは簡単。
言う人はそれぞれ、素晴らしい意見を言ってくれる。
でも残念ながら、みんなが同じ事を
言ってはくれない。
だからこそ比較して
自分で考える。
そうすることでしか正しく恐れることはできないだろう。
それは誰かから見れば、
正しくないかもしれない。
それでも自分の意見として主張をすることはできる。
誰かの意見を聞いてなるほどと思えば、
それを取り入れてみてもいい。
保留にしておいてもいい。
そうやって徐々に正しさに近づけば良いのではないか。
そういう態度で物事の正しさを測っていきたい。
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