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私たちのお産18  ーDr.(ドクター)の存在ー


前回のブログで、出産までの間に受けた

サポート病院での健診の一幕を

紹介したわけですが。

私自身、「私たちのお産」を通して

初めて目を向けた

初めて知った

初めて考えた

そんなことがたくさんありました。

柔道整復師として働き始めて

身体の「動き」により興味を持ち

ピラティスを学び、

哲学という共通点から

オステオパシーの世界へ飛び込み

「生きる」ということ

「人が持つ力」

興味の赴くまま

学び

実践し

どうすれば目の前の「あなた」の役に立てるのか

先に見据える「あなた」の役に立つエッセンスを吸収できないか

ひいては、先の「あなた」にできることはなかったのか

今回のブログを書くに当たって

以前のブログを読み返してみると

私ひとりでみている世界はとても一面的だったんだな...

それを、パートナー健太を始め

私の家族

宮川さん達 助産師さん

医師を含めた病院の関係者

私のクライアントさんや仕事仲間

道すがら声を掛けてくれたり、気遣ってくれた人々

多面的に一つの事象を捉える機会を

たくさんいただいた。

奥行きや広がり(拡がり)を加えてくれて

時に、生き生きと瑞々しく

時に、まざまざと重たく

感じたり、考えたり、

"今"を大切にする視点を「忘れないで」と

語りかけるような。

そんなふうに感じます。

今回のブログは

「私たち」ベースの話ではなく、

「社会」として「お産」の在り方を問う内容だと思います。

「お産」場所や方法、云々の前に

見つめ直す必要があると感じたんです。

「私たち」のお産に興味をもって

「どんな感じだったの?」

「なぜ自宅でお産しようと思ったの?」

といった質問をたくさん受けました。

本来なら関わる機会すらなかったであろう数多くの助産師さん達。

産後の病院で「母子手帳に自宅で出産されたって書いてあったんだけど、良かったら話を聞かせてもらえない?」

そして、保健師さんも。

娘の4カ月健診で母子手帳を確認された保健師さんが、

「栄養指導」の開始を待っている私に「自宅出産ってどんな感じだった?どうして自宅で産もうと思ったの?」

その時の私は、宮川さんから聞いていた話を思い出していました。

助産師として病院に勤務する流れが主流な昨今の状況。

実際に「助産師として」お産のはじまりから赤ちゃんを取り上げてお母さんや家族の元へ手渡す機会がとても少なくなっている。

「助産師として」手や五感をフルにつかって「実際」のお産に立ち会う機会がほとんどない。

実習や研修の時に、「その場」には立ち会うけれど「実際」に触れることがない。

この状況って結果、助産師として「助産」に自信が持てず

個々の状態の違いを実感を持って表現できない

違いがあるであろうことは分かっていても、それに対応する判断材料が生身に触れた経験から、ではなく、教科書が基本になってしまう。

だから、所謂「教科書的」な対応しかできなくなる

ことに繋がるんじゃないか、と考えたんです。

そして、もうひとつ。

多くの助産師さん、保健師さん、自宅出産に興味を抱いた方たちから

「なぜ自宅出産だったのか。」という問いに

「既存の流れに合わせるために」ではなく、

「私たち」に向き合ってくれる「お産の形」を模索した結果、

自宅出産という「選択」になった。

と、私が話しても

何故か訝しがられて...

「お仕事、助産師さん?」なんて聞かれたりして。

「身体に携わる仕事をしている。」と答えると、

合点がいったように

「だからねー。」と。

こういった流れの会話を幾度となく繰り返し、

その度に私は考えることがあります。

これまでにも綴ったことがありますが、

お産や子どもの発育を見守るん仕事に就いている人たちも実は、"今"のお産や子育ての現状に疑問を抱いているにも関わらず、"今"のお産が形骸化されている事に疑問を抱き、 自分たちで「選択」をした「私たち」のような家族がいると「きっと何か特別な思考を持つ人」なのだろうと、特殊な人扱いです。

まぁ、我が家は特殊だと思います(笑)

が、!!!!

そもそもお産の、且つ、外科的処置が施せる専門家(産婦人科医)が全てのお産を担わなければならないのでしょうか?

「正常なお産」を介助できる助産師さんが、そういったお産に巡り合う機会が減っているのは何故なんでしょうか?

仮に、女性も胎児も「正常な状態でお産」に臨める状態でないのだとしたら、人間が持つ内在的な力(自己治癒力や自己調整力など)を引き出すオステオパシーはとても貢献することができる!そう確信しました。(実体験とこれまでの臨床経験から)

もし、今の現代に生きる人たちがお産に適応できないくらいに問題を抱えているのならば、その問題を解決していくことが必要ではないでしょうか。

「自宅出産」をキーワードに私に質問を投げかけてくれた助産師さん、保健師さん、一般の男性、女性。

私たちがオステオパシーをしていて

且つ、ピラティスもしているから

健康体で体力もあって、不必要な医療介入を臨まなかったから「自宅出産」ができたのだ。

実際にそうおっしゃる助産師さんもおられましたし、そういった結びつけで考えてらっしゃるんだろうな、という空気も何度もありました。

そうなのだとしたら...

こういうように言い換えることはできないでしょうか。

1.「自分自身を大切」にし、

「身体や心のケア」をして

健康に近い状態が「ベース」にあるようにしていたら、

「正常なお産」に臨むことができる人たちが増える。

2.「正常なお産」に臨む人たちが増えたら

『助産師』がお産の介助をメインに担う機会が増える。

3.不測の事態が起きた時のために『専門医』がいる。

そうすると、『専門医』がより「専門的」で所謂「高度な医療」を求める人たちのために活躍する機会が増えると思うのです。

RKの2人もそうでしたが、RKにお産サポートで来てくださっている人たちも共通して病院で「どなたが助産師なのかわからなかった」んです。

というよりは、『医師』以外は『看護師』なのか『助産師』なのか見分けがつかなかった。

その状況ってすごく変だと思いませんか?

私はすごく違和感があったんです。

医師は『産婦人科医』ですよね。

お産の準備をしている身体の状態をチェックするための健診で名前に「助産」と冠している『助産師』がたくさんその場におられるのに、鳴りを潜めている。

なのに、「『産婦人科医』が足りない」というニュースが流れる。

『助産師』の活躍の機会が増えることは、『専門医』が『専門医』として仕事をすることにつながる。

持っているその「専門的」な知識や技術を通して、「お産」という生命の誕生の機会に、様々な専門『職』がそれぞれのやり方で寄り添う。

その力が集結できない、現状において「お産」にまつわる『死』。

日本で最も多いのが「妊産婦の自殺」なんです。

とても悲しい現状です。

『助産師』、『専門医』が自分の『仕事』に集中して取り組めるよう、私たちRKの2人はオステオパシーを通してベースとなる土壌を耕し、妊娠している女性と赤ちゃんが本来持つ「産み•産まれる力」が存分に発揮されて芽吹くようにRKは腹を括り、気を引き締めて「あなた」達に寄り添えるよう毎日、試行錯誤をしています。

種は「あなた」の中にあって、いつどんなタイミングでどのように芽吹き、成長し、花を咲かせるのか、はたまた大樹に育つのか。

「あなた」自身の「選択」で変わるのです。

毎度のことで恐縮ですが、

「お産は全ての人が経験すること」です。

動き出す必要が、声をあげる必要がある。

それが先々の"今"を生きる人たちに取って「生きよい世界」に繋がっていく。

そんなふうに私は「今」感じています。

皆さんは"今"の社会、世界をどう感じますか?

つづく...


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