私たちのお産16 -助産師さんの言葉-


最近は話が脱線気味の「私たちのお産」ですが、

助産師さんたちの活動が、

いずれ「当たり前」のこととして

選択できるような日が来ることを

そして、助産師さん達が胸を張って

「助産師をしています」と言える状況になることを

祈って、

今日も書きます。

今日は、助産師として寄り添ってくれた

宮川さん、塩見さん、谷川さんの言葉について。

宮川さん達がくれた言葉は、

私たちにとって

励みになりました。

…と、まぁここまではよくある話なんじゃないかな、と(笑)

…彼女達から私たちが受け取った思いをどう表現するとよいのか

このブログを読んでくださっている人たちにも

なにかきっかけやエッセンスになるように

伝えられたらよいな、と

思っているのですが、

伝えたい思いを表現するのに

ぴったりな言葉が見つからない歯痒さを感じております…

感性を表現する勉強が必要ですね。

そもそも、お産を迎える準備のスタートで

「医療」の在り方や

「医療」の流れの中に身を投じることへの不安

「医療」のシステムに当てはまるように動かなければならない

そんなふうに感じさせる「何か」

に対して、

私は不信感を抱いたわけです。

そのことを真摯に受け止めて、

「当たり前」のこととして一緒に考えて

一緒に「選択」する土壌に立ってくれた

パートナー 健太の存在は本当に大きかった。

この部分は現在RKに通ってくれている妊婦さん達からも

パートナーや家族との「温度差」を感じてしまい、

「どうしたらよいものか…思案することや伝えることに疲れてしまう。

 そして、そんな思いを抱いていることに

 気づいてもくれないことに怒りを覚える。」

そんな声をよく聞きます。

そういった方に「お産を助けるプロ」の存在を知ってもらいたい。

私の場合は、心が折れそうな時に

パートナー 健太が引き上げてくれたわけです。

そして、「お産を助けるプロ」との縁を繋げてくれた。

しかし、そんな大きな存在で感謝しつつも

八つ当たりしたり、

「なんで気づかへんの!」なんて悪態をついたことは

しょっちゅうあります。

言葉にしづらいもどかしさや、

ささくれだった気持ち、

「本当にぶつけたい言葉(思い)はこのことじゃないのに…」

なんていうのは、日々の中でもありますが、

妊娠して、よりいろんなことに不安を

感じる機会が多くなると

そんな気持ちを抱くことにすら

落ち込んだりもします。

そんな時、

「お産を助けるプロ」

読んで字の如く…助産師

彼女達の存在はとてつもなく大きく

私たちの関係が淀みそうな時、

「循環」という関係性のサイクルを

動かしてくれる役割を果たしてくれました。

話は逸れちゃいますが...

日本では、助産師さんは女性に限定されてますよね。

産婦人科医には男性がいるのに。

「お産」に男性が疎外感を感じるのは

こういう土壌が意識のベースにあるからなのではないか、

今、ブログを綴りながらそんなことも考えています。

...綴り出すと長くなるので、また別の機会にでも。

さてさて、話を戻して。

毎回の健診。

時間をかけてくれているというよりは、

気づいたら時間が経っていた

なんて感じちゃう

”贅沢な”時間の流れだったんです。

病院でよくある、

血圧や体重を測って、エコー撮って、

ドクターがそれを診て

「順調だよ。体重増やし過ぎないようにね。」

の一言で終わる紋切型スタイルの健診ではなく、

また「一般的には...」という話ではなく、

「元気~?今週はどんな感じだった?」

なんて会話からスタートして

本当にあーだこーだと会話が弾む。

途中ではた、と「血圧でも計ろうか。」なんて思い出したように(笑)

その間も会話は弾んで

宮川さんも塩見さんも谷川さんも

お腹の赤ちゃんを大切に愛おしそうに触れ

お腹の中の赤ちゃんに話しかける

胎動を感じられるような時期に入っていると

赤ちゃんがそれに呼応するかのように動く

そうするとまた彼女たちが

「挨拶してくれてるの~。今日も元気そうで嬉しいわ~」なんて話しかける。

それを見て感じている私も

パートナー 健太も

こんなふうに話しかけて、触れ合うことができること、

そして、赤ちゃんの反応の大きさや強さから

赤ちゃんの喜んでいる反応や

嫌がっている反応のニュアンスを

自然と学んでいって。

会話の中で折に触れて

私たちの現状を見つめ直すきっかけになったり、

自分を律する基準を見失ってしまいそうな時に、

道標になったり、

”今”の私を

卑下するわけでもなく

過信するわけでもなく

程よく見守る視点をもらったり、

「私たち」と健診の時間を通して

「会話」してくれていたんです。

一般的な話をするのは「会話」ではなく、

「情報提示」に過ぎないと思うんです。

むしろ最近だったら、ネットで調べることができるし、

当たり障りのないように取り繕う言葉は

結局、「私たち」を見ていないのと同義だと思います。

宮川さん達は失敗談も含めて

「会話」してくれた。

「妊娠中のセックスについて」だったり、

「病院でのお産になった場合」だったり、

「育つ、育てる、育ててもらう」話だったり、

「2人目を望む場合」の話だったり、

挙げきれないですが、

感覚、感情の共有をしたこと

思考の過程を受けとってくれて

率直な意見をもらえたこと

彼女たちが「わからない」「知らない」ことについても

隠さず話してくれたこと

彼女たちのコネクションを通して

私たちの懸念を取り除く方法を一緒に探してくれたこと

そして、私たちの「選択」を

何よりも尊重してくれたこと

そんな"贅沢"な時間を積み重ねて

より「信頼」が増した。

宮川さんはよく

「私の発した言葉は、発した時点で相手のものだと思う。」

と、仰っていました。

相手のことを、そこまで考えて

発せられた言葉の重み。

「言霊が宿っている」ように感じたのは、

自分の思いに裏打ちされた言葉だったから。

綺麗に纏まった言葉で、「それらしく」話すのではなく

相手に向き合う覚悟や溢れ出る愛を包み隠さず

私たちに分けてくれる、

彼女たちの「人となり」の表れだったからだと思います。

だからこそ、響くものがあり

時間を置いて沁みるものがあり

時間が経っても色褪せることなく残るものがある。

彼女たちの眼差しに優しさがあり、

目の奥に燃える炎があり、

包み込む大きさが

滲み出ていたのは、そのせいか!

と、改めて実感。

私もパートナー 健太もそんな姿勢であり続けよう

そう思いながら、今日も一日過ごしています。

つづく…


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