最近eスポーツについての特集が増えている。
その中で語られるのは、
eスポーツはスポーツなのか
ということ。
スポーツだと主調する方は、
選手は毎日かなりの時間を
練習に費やしている。
大会には大きなスポンサーもつき、
観客も多い、
チームワークが求められるものも多い。
スポーツでないと主調する方は、
ゲームはどこまで行ってもゲーム。
身体を動かさない。
eスポーツがスポーツなら、
自分がやっていたスポーツはなんだったのか...
まあ、こんなところだ。
そもそもスポーツとは何なのか。
スポーツの定義をスポーツしていた
人も知らない。
スポーツに定義なんてないでしょ。
eスポーツはスポーツではない。
とくる。
1968年に国際スポーツ科学会議で定められたものによると、
スポーツとは、
「プレイの精神を持ち、
自己または他人との闘争、
或いは自然の障害との対決を含むものである」
と定義されている。
プレイの精神、つまり遊びであるということ。
ゲームはどこまで行ってもゲーム。
あれ!
同じじゃありません?
次に身体を動かさないということについて。
オリンピックの競技を見ていると、
あまり身体を動かさないものがある。
アーチェリーとか
クレイ射撃とか。
僕は素人だから、
簡単に競技名を挙げてしまったけれど、
本気でこれらの競技に取り組んでいる人からすると、
身体を動かしてると言われるかもしれない。
eスポーツも同じで、
指しか動かしてないように見えるけれど、
指を素早く動かすために、
足から体幹を安定させている。
つまり、筋肉を使っている。
むしろ、
スポーツにかぎらず、
全く身体を動かさずにできることなんて、
ほとんどないのでは。
そしてeスポーツで言えば、
単純に指を動かすのではなく、
状況を見極め、
絶妙なタイミングで、
ボタンを押さなければならない。
それは0.017秒とかの世界。
少し練習した程度では、
太刀打ちできるものではない。
寝転びながら、
それに反応できるものでもない。
そしてそして、
「eスポーツがスポーツなら、
自分がやってきたスポーツはなんだったのか。」
eスポーツはスポーツでないと
言いたい人の本心はこれかと思う。
これは
何と比べてるのか問題。
誰に認められたいのか問題だ。
自分がやってきたスポーツ活動が
後ろめたさもなく、
胸を張れるものなら、
eスポーツがスポーツだと言われても、
それを否定する必要はないだろう。
高校の部活として、
eスポーツ部ができている
という話になった際には、
「部活として、
存在するのは構わないが、
それは運動部ではなく、
文化部としてだ。」
という話もよく耳にした。
運動部とか文化部とか、
誰が何のために分類してるのか
意味不明だ。
わざわざ否定する姿からは、
自分のスポーツに対する
後ろめたさや後悔。
崇高なスポーツという、
虚構を作り上げることで、
それらの感情を埋め合わせているように感じる。
見ていて思うのは、
スポーツをするということを
自分で選択したのかということ。
子どものころはさておき、
ある程度自分で判断できる年齢になったときに、
今後もそのスポーツを続けるのか。
周りの意見や、
社会の空気感。
そう言ったものに流されずに
選択することができなかったのではと思う。
その結果が、
「自分はしんどい思いをしてきたのに、
eスポーツはあんなので、
スポーツと言われるのはけしからん。」
となるのではないだろうか。
学生時代には部活に入っているべき。
という空気感も相変わらず強い。
自分で選ぶことで、
それが上手くいってもいかなくても、
自分で納得でき、
また、他人に対しても
寛容になれるのではないだろうかと
最近つくづく考える。
大人になっても同じことの繰り返し。
社会の空気、常識といったところから、
ネットの口コミまで。
本当に自分で選びとったものは
どれだけあるだろう。
これからもっとAIなんかが
発展すると、
さらに選ぶことが少なくなるかもしれない。
そのとき、
自分が自分である必要は?
相手を尊重する心は?
今日はたくさん毒づきました(笑)
おまけ
スポーツは遊びです。
その遊びで、子どもが自分の思うように
動いてくれないから大人が体罰に走る。
…とても滑稽ですね。