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自身を見直す契機に


まず昨日の大阪での地震に遭われた方にお見舞い申し上げます。

我が家もかなり強く揺れました。

ちょうど洗濯物を干しているときでした。

そのとき妻と娘は2階にいました。

もし自分か彼女たちになにかあったと考えると

ゾッとします。

年齢や性別、人種そんなものはなんの関係もなく、

ふとした瞬間に命の危険にさらされる。

地震が起きた時に移動するのか、

じっと留まるのか。

右によけるのか、左によけるのか。

一瞬の選択を迫られる。

選択したとしても身体が動くのか。

動かいないことが選択なのか。

多くの人は今日死ぬかもしれないなんて考えていない。

でも災害があると必ず死と向き合うことになる。

こんなことで死ぬなら、

なんのために生きてきたのか。

漫然と生きていることに疑問が出てくる。

後悔しないために何ができるのか。

「明日死ぬかのように生きよ。永遠に生きるかのように学べ。」

「朝に道を聞かば、夕べに死すとも可なり」

僕はできるだけこのように生きたいと願っている。

今いる地点は常に道の途中であり、かつ最終地点でもある。

最近は健康に対する社会の関心が高い。

テレビをつければ健康番組がない日はないだろう。

健康診断を受けていれば健康的。

健康のために毎日○○というサプリを飲んでます。

健康ってなんなのか。

健康のためなら死ねるって

冗談みたいに言っているけど。

今死んだとしても本当に悔いはないのか。


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