京都市北区 鞍馬口 OSTEOPATHY and PILATES RK(オステオパシー&ピラティス アルケー)
爲澤健太です。
今日はNHKのあさイチを見ていて思ったことを。
始めは運動器具の間違った使用法で怪我が起きているという内容でした。
その見出しを見てパッと考えたのは、
トレーニングのやり過ぎや、
使いたい場所が違っていて、
身体に痛みが出ている…
という話になるのかと思っていたんですが、実際は全然違っていました(;´・ω・)
どんなことかと言うと、
バランスボールでバランスを崩して転倒して、周りのもので頭を打ったとか、
ゴムを引っ張って筋トレする器具で、
一方を放してしまい、顔にぶつけたとか。
さらに腹筋をする器具で背骨を骨折したとか…
最後のやつは、全く状況が分からないのですが、
一つ目と、二つ目は単に、どんく…(-_-;)だけなのでは。。。
と思ってしまいました。
番組ではそれに対する対処法として、
取扱い説明書を読めと言っていましたが、
スタジオにいたコメンテーターは
「取扱い説明書は読まないからなー」
と口々に言っていました。
いやいやいや…
取扱い説明書の前に、
子どものころ自転車の練習するときに、周りに何もないこと確認しませんでした?
散らかっているところで遊ぶと、危ないからって言って、
物をどけていませんでした?
輪ゴムを引っ張って飛ばして遊びませんでした?
ある程度のリスクは想像できるはずだと思うんですが。
大人になってもその辺の感覚を忘れちゃいけないですね💦
次のコーナーは発達障害についてでした。
テレビに出ていた家族は、
ご主人以外は発達障害と診断されているそうです。
このご夫婦は、日々の生活が円滑に回るように、
ご主人を地球人、奥さんを火星人に見立て、
お互いの気持ちを「言わなくてもわかる」
から、「違う星の人だから、全部説明しないとわからない」
というように考えを変えて、
根気強く、気持ちを聞いたり、説明したりを繰り返したそうです。
その結果かなりお互いのことを理解できるようになったと言っておられました。
そして、娘さんが結婚する際、
新しい家庭を築くにあたって、
その旦那さんにも、娘さんの状態(時間を忘れて物事に集中しすぎるなど)
を知ってもらわないといけない。
と考えて、娘さんの取扱い説明書を旦那さんに渡したそうです。
この取扱い説明書に対して、
スタジオのコメンテーターの反応は、
「これはいいですね」
と口々に言っていました。
???
さっきは取扱い説明書なんて読まないって言ってなかったけ?
凄い変わり身の速さです。
人とモノの違いなんでしょうか。。。
もうひとつ違和感を感じたのが、
コメンテーターの人たちや発達障害の患者さんも、
「普通の人は(発達障害ではないという意味)、
言葉で表現していなくても、空気を読むことで
普通は日常生活に支障がないように行動ができる」
とか、
「発達障害の患者さんが、普通に生活できるように…」
というようなことを口にする機会が多いなと思いました。
この普通という考え方ですが、
果たして、どれぐらいの人が
日常生活の非言語的なコミュニケーション、
言葉と言葉の行間のようなもの、
文化や習慣などの背景、
といったものを
どの程度理解して(空気を読んで)行動しているのか。
その結果ミスコミュニケーションが起こっていないのか。
僕の個人的な感想ではかなりの数のミスコミュニケーションが起こっていると思うんです。
でも特段そのミスコミュニケーションに目を向けていません。
例えば料理しているときなんかに、
「醤油を少し入れて」
と言われても、少しってわからないですよね。
「少しってどれくらい?」
「適当や!」
そして醤油を入れると、
「それは入れすぎやで💦」
なんて会話が我が家ではよくあるのですが、
これはミスコミュニケーションですよね。
多かれ少なかれ、
こういうことは良く起こっています。
上の会話ではそれに気づけますが、
相手によっては気づかないまま終わることも多いと思います。
気づいた上で、相手との関係性で、
その溝を埋めたいと思うこともあるし、
思わなければ、
「別にいいや」
でそのまま済ませることもあります。
普通だと思っている中にも、
かなりミスコミュニケーションは存在している。
柔道整復師の養成校のとき、
公衆衛生という授業の中で、
精神科領域の病気は相対的である
と言ったような記述がありました。
決まりきった形で、病態があるわけでもないし、
地域や時代が違えば、病気かどうかということも変わります。
つまりここからは病気ですよという線引きが曖昧です。
そんな状態で、
簡単に病気、普通と発言する危うさ。
普通という基準や、
自分がその普通に分類されているのかも明確でもありません。
それにもかかわらず、
「普通に生活できるように」
であるとか
「治療しましょう」
と言うのはかなり傲慢な態度に感じました。
自分自身、治療家としての立ち位置を改めて考えさせられる内容でした。